子供の頃、永谷園お茶漬けの素におまけでくっついていた「東海道五十三次」のカードをなんとなく集めていました。なかなかそろわないせいもあって、すぐに飽きてしまいましたが…。
あれから時は流れ、2004年頃から急に浮世絵に興味を持つようになりました。音楽的にも「和」を追求していたせいもあるでしょうか…、日本の伝統芸能や美術に傾倒していきました。
あたしのDNAに刻まれている『前世』の一人に、絵師を囲っていた武家の次男坊で、いわゆるパトロンがおります。血のつながらない兄を愛し、兄が足しげく通う遊廓に絵師を差し向け、女郎たちと乱交乱舞する淫眉な姿を描かせて、屈折した愛情に悶絶した変態だったのです。その前世のあたしを思い出した時、錦絵にとり憑かれていました。
歌川広重は、絵師であると共に公告デザイナーでもあって、自身の「ヒロ」をデザインしたヒロ菱は、有名です。四十一鳴海の暖簾にこのロゴを見る事ができます。ズレヤマズレコードのロゴマークもこれを真似て、ズレ菱にしたことは、まだあまり知られていません。また名所江戸百景は、最高のカラー印刷技術が結集した抜群に美しいシリーズです。
また、富士山を描かせたら日本一の旅人、葛飾北斎の娘で、葛飾応為が素晴らしいんです。残した作品は、少ないのですが、メナード美術館にある「夜桜美人図」と太田記念美術館所有の「吉原格子先之図」が、秀逸です。技術的には、父を超えていた天才だと思われます。何しろ、宵闇に炎を灯していただけの時代、その灯りが照らす風景と影が、まるでライカで撮影された写真のように、実に味のある美しさなのです。実物をいつか必ず見てやろうと思っています。
もう一人、明治開化絵と言われた錦絵絵師、揚洲周延(ようしゅうちかのぶ)の絢爛豪華な作品の数々に、腰砕けなくらいメロメロにさせられています。明治文明開化とともに、西洋から化学染料が入ってきて、グロテスクな赤が特徴的なケミカルな色彩で芸術的価値無しとされていたようです。和洋折衷なドレスと着物、洋館、蒸気機関車、急速な町並みの発展に思いを馳せながら見ると、ワクワクしてきます。ただ、一方では、士気を高めるための戦争絵も描いていました。もっと評価されて良い絵師だと、あたしは、思います。作品集がアメリカでしか発売されていないのが、悲しいです。
是非、機会があれば、江戸〜明治の錦絵に触れてみて下さい。先日イベントで行った江戸川競艇場では、浮世絵を無料公開していました。探せば、簡単に浮世絵を見る事ができますヨ!
写真は左から広重のする賀てふ、応為の吉原格子先之図、周延の上野櫻花観遊図